漢文をやって仙人になりたかった

今から思うと,私ははじめから中国語をやろうとしていたわけ ではなかった。高校卒業時は漢文をやろうと決心していた。 18歳の少年が考えることである。 たいした深い意味があるわけではない。

子供の頃,「コーリン鉛筆」が好きだった。
といってもモノが好きと言うより, その名前,もっと正確に言うと,その音連続が好きだった。 テンシン,シャンハイ,ナンキン,ペキン。 父が中国から帰ってきて,話の端々に出る, これら中国の地名が幼心になぜか憧れをさそった。 後年,これらの地名はすべて清音からなり, それは中国語の子音に,いわゆる濁音が存在しないためと知った。

透明なものや,半透明なものに惹かれていた。
学校帰りに拾った映画のフイルムの切れ端や,ちょっと透けている小石などを飽かずに眺めた。 宝物というわけでもない。ただ捨てがたいガラクタだった。 理科の実験器具や鉱物の見本。すべて無機質な,冷たいものに惹かれた。

それはおそらく身体のどこかに,これらとは対極にある,どろどろとした情念のようなものがあったためではないか。 熱があれば冷やしたい。情念があれば,その対極は無機質だろうか。本能的に,人はバランスをとる。 禁欲的でどこか無機質な気分は,漢文とマッチした。

日本の古文は,どこか情念的だ。もののあはれ。むしろ中国の古典が,私の精神の志向に合った。
上京し,大学は東京教育大学。そこで漢文学科に入った。

一人で文京区関口町の小さなアパートにすみ,とぼとぼと学校に通った。 歩いて大学にゆける距離であった。ときどき都電に乗った。 都市の中で,人知れず中国古典に沈潜し,何ごともなく老いてゆく。 その風景はとても自虐的で,魅力的であった。

中国の古い文献。感情という水分を絞り去り,ひたすら道理を説く書物は,少年の無表情な面と似合う。 私は漢文を学び,哲学とか倫理とか,道徳とか,あらゆる非科学的な,しかし原理的なものに惹かれた。

漢文から中国語への距離は近かった。
昨今では漢文は現代の中国語音で発音され,そういう頭で理解される。 われわれが日本の古典を,現代日本語で読み,理解するのと変わらない。 もはや訓読は瀕死の技能である。

神秘が消えた。漢文は記号の羅列から,生きている言葉になった。
あらゆる言語の宿命か。理解がある段階まで進むと神秘さがなくなる。
そもそも言語を神秘とみるのは,言葉として見ていない,田舎の中学や高校の暗号学だ。 私にとって長い間,外国語は解読されるべき記号の羅列であった。 コミュニケーションの道具などという発想はなかった時代だ。

中国語がふつうに分かってきて,私の青春は終わったような気がする。
そこに神秘が薄れ,明るい現代の実用が入ってきたからだ。 秘術と実用,この対極をなす二つが,もともと私の裡に存在したにちがいない。

語学が,哲学や精神の意匠に取って変わった。
「中国語をやって道士になろう」「中国語をやって仙人になろう」。そんな夢が消えた。

わかるというのは,ある種の夢が消えることだ。つまらないことでもある。
人はわかるのを恐れ,わざと手をつけないということもある。

爾来,私はなんだか,夢をなくした,気楽な語学の徒を続けているような気がしてならない。

もう一度,哲学や言語の神秘の狩人に戻りたい。
それがいま再びわたしの夢になりつつある。

2001年4月1日
相原 茂