私の娘は7歳の時からローラースケートに興味を持ち始め、夏休みに中国の実家に連れて帰った間、毎日練習に没頭していた。初めの頃は街中の広場で練習していたが、少し上手になってからは、道路でも走るようになった。実家のマンションに帰ってからも、30平米超ぐらいはあるリビングでも練習を止めなかった。祖父や祖母はにこにこ笑って見ていて、「上手だね」と褒めちぎった。そうすると、娘はさらにやる気が出たようで、見る見るうちに上達していった。
しかし、夏休みはすぐに終わり、日本に戻らなければならない。帰国便は午前のフライトなので、前の晩は北京に泊まり、翌朝空港に向かうことにした。夕方、北京のホテルに到着して、チェックインしたあと、寝るまでにまだ時間があった。すると、娘はローラースケートをやりたいと言い出した。しかし、いくらなんでもホテルの中ではと思い、少し躊躇っていると、娘がうるさく「ローラースケートがしたい」と繰り返しせがんだ。そこで、まあいいか、怒られたらやめればいいと思い、1階のフロアーに連れて行って滑らせることにした。
ところが、小さなホテルとは言え、フロントのスタッフは怒るどころか、なんと微笑しながら「上手ですね」と褒めてくれた。私はひとまず安心したが、娘の方は褒められたせいでますますやる気がでてきて、その後40分ぐらい休みもせず、ホテルの滑りやすい廊下でローラースケートを楽しんだ。その間、チェックインに来た客は驚いた顔をしたものの、同じように「まあ、この子は上手ですね」とにっこり笑ってくれた。そのまましばらく見てくれた客もいた。今でも、娘がまわりの人たちの注目を浴びて嬉しそうな表情だったことをよく覚えている。その晩は子供にとって忘れられない、いい思い出になったことだろう。
さて、明くる日の朝、北京空港でチェックインを済ませ、安全検査もすんなりと終わった。そして、後は搭乗するのを待つだけという時、突然、搭乗予定の航空機が天候の影響で一時間くらい遅れるという知らせが入った。手持ち無沙汰になるや、娘はまた「ローラースケートがしたい」とせがんできた。仕方なくフロアーの端の、通行人に迷惑のかからない場所を探して、娘を滑らせることにした。その姿を見る人は何人もいたが、誰一人としてそれを止める人はいなかった。広い場所で滑ることができ、搭乗時間ギリギリまで気持ちよく楽しんだのであった。
無事東京にもどると、上達中の子供は「ローラースケートをしたい、したい」と毎日のようにせがんだ。しかし、家の近くの人通りの少ない道路で滑っていると、近所のおじさんにすぐに止められて「危ない」と注意された。その後、あちらこちらと、通行人に迷惑のかからない所を選んで滑らせたが、家の周りには適当な場所が見つからなかった。そこで、考えを巡らせた結果、「日曜日に池袋西口の東京芸術劇場に行って、その前で滑ろう、あそこは広いから」と子供に約束した。
待ちに待ったその日曜日がやってきた。子供は思いっきり滑ろうとウキウキしながら、目的地に到着した。
ローラースケートの靴に履き替え、広場ではなく、劇場の入口近くの長さ3メートル、幅1・5メートルぐらいの、通る人のいない場所を選んで滑らせることにした。床は大理石であるから、滑り心地は抜群のようである。東京に戻ってから娘は十分に楽しめなかったから、「今日は飽きるまで滑らせよう」と心に決めた。
娘はようやく思いっきり滑れるぞという気持ちが表情に現れ、得意満面でスイスイと行ったり来たり滑っていた。その輝いている様子を見ている私も幸せに溢れていた。「ここはいい。通る人の邪魔にもならないし、滑りやすい。それに、家からも近い。滑りたい時にはここに来ればいい。ローラースケートが上手になり、次にはフィギュアスケートをやらせて、センスがあれば、将来浅田真央みたいにフィギュアスケート選手になり、メダルをとってくれる可能性もあるかも知れない。・・・・・・」と妄想している私にかすかに「すみません、すみません」という声が聞こえた。
「ここで滑るのは危ないですから、ちゃんとしたところで滑ってください」と、警備員のような人がいつの間にか止めにきたのだ。娘は今にも泣きそうな顔をしている。私は「日本に戻ってからは、自由に滑ることのできる場所がまだ見つかりません。ここもダメですか。では、どこでなら自由に滑れますか」と尋ねると、答えは「国立競技場とか専用の場所とか」というものであった。その日、娘は泣きながら家に帰った。
今年の春、娘は中学2年生になりました。もうしばらくローラースケートはしていない。当時のことを振り返えってみると、中国はあくまでも「自己責任」の考えで、怪我をしても、ホテルや空港とは関係がない。だから、「ご自由にどうぞ、公共の場所はみんなのものだから」ということで、そこは自分の家のように自由に使える場所であり、他人を止める権利もない。一方、日本では、「相手に迷惑をかけないように。それに、私の所で怪我でもされたら、私が責任を取る可能性もある、だから、怪我をする前に止めてしまおう」という発想なのである。公共の場所は「私」を律する場所であり、自分の家にいるような自由は得られないのである。「公共の場」という日中の認識の違いについて、実体験を通してしみじみと考えさせられた思い出である。

カテゴリ:いぶこみの風景
投稿者 :蘇 紅